私たちのストーリー

私たちのストーリー

こちらでは、NPO法人セブン・ジェネレーションズが歩んできた物語を紹介しています。
この物語を通じて、私たちが何者であり、どうやってここまで来たのかをお伝えしていきます。

Vol.1 起源
チェンドリとの出会いとセブン・ジェネレーションズの誕生

最初となる今回は、チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウム(以下「チェンドリ」)を日本に紹介し、セブン・ジェネレーションズを創設した榎本英剛さんに創設当初のお話をインタビュー形式でお聞きしました。
どうぞご覧ください。

​目次

  1. いま世界で起きていることに対して何ができるか?
  2. 情報の受け手から伝え手になれるようエンパワーすることを目的としたプログラム
  3. 「意識」と「しくみ」の両面の変化を促す
  4. いろいろな人の協力により日本語版チェンドリ
  5. 人が変わっても受け継がれていく精神
  6. あなたはすでにチェンジ・エージェントである

1.いま世界で起きていることに対して何ができるか?

聞き手】
最初に、榎本さんはどのようにチェンドリに出会ったんですか?

【榎本英剛さん】
2002年にピースボート(※1)に乗ったことから話は始まります。

それまではずっとコーチング(※2)の仕事に携わってきて、どちらかというと人の内面で何が起きているのかに興味があり、外面の世界で何が起きているのかにはあまり興味がありませんでした。

ところが、ピースボートに乗ったときに環境問題や貧富の格差、戦争とテロなど世界で起きている様々な問題について来る日も来る日も聞かされているうちに、いま世界は大変なことになっているということに気づいたのです。

それは、あたかも頭を後ろから思い切りひっぱたかれたような感じでした。自分がいかに世界で起きていることについて無知であったかを思い知らされ、このままではいけないという危機感に襲われました。


そして、ここはいったんコーチングの仕事を手放して、何か世界の問題に関わることをしないといけないんじゃないかと思ったんです。

でも、何から始めたらいいかはわかりませんでした。


いろいろと模索する中で、スコットランドにある「フィンドホーン」というエコビレッジ(※3)に家族とともに移住するという選択肢が自分の中から湧いてきて、そこに身を置きながら「いま世界で起きていることに対して、自分に何ができるのか?」ということについて探求することにしたんです。

2005年の秋からフィンドホーンに生活の拠点を移し、持続可能な暮らしというのがどういうものかを肌で感じながら、自分に何ができるかを考え続けました。

あるとき、イギリス人の友人と電話で話しているなかでチェンドリのことを知り、少し興味を惹かれたので、その友人に会いに行くついでに一緒に参加することにしました。

それが僕とチェンドリとの出会いでした。2007年の春、イギリス南部のフルームという町での話です。


※1 ピースボート

国際交流、国際協力を目的として設立された非政府組織「ピースボート」が主催する世界各地をめぐる船舶旅行

※2 コーチング

対話を通じて相手の創造力を刺激したり、気づき・学びを引き出したり、意欲を高めたりして、相手の成長や成果を得ていくことを支援する関わり方

※3 エコビレッジ

自然や環境にやさしい暮らしを営む地域社会や共同体

2.情報の受け手から伝え手になれるようエンパワーすることを
目的としたプログラム

【聞き手】
チェンドリに参加してみてどうでした?

【榎本英剛さん】

参加してみて、その趣旨や発しているメッセージが素晴らしいなと思いました。

それと同時に、僕はいろいろな研修やワークショップ(※4)ファシリテーション(※5を経験していたので、その中身や進め方については正直物足らなさを感じました。もうちょっと工夫すればもっと良くなるのにもったいないなと感じたんです。

チェンドリの最後に、主催した人が「ぜひフィードバック(※6)をお願いします」と参加者に言ったので、僕がそのとき感じていたことを率直にお伝えしました。

そうしたら、その主催者の人から「あなたはなかなかいいフィードバックをしますね。実は来月、このプログラムを作った人がアメリカから来て、ファシリテーター(※7)・トレーニングを行うので、もしよかったらあなたもそこに参加して、いまおっしゃったことを直接彼らに伝えてもらえませんか?」と言われたんです。

フィードバックをした手前、なんか行かなくてはいけない気がして、その翌月に行われたファシリテーター・トレーニングにも参加することになりました。


そのとき、なぜチェンドリがこのような形で行われているのかが、すごくよくわかりました。

簡単に言うと「いま世界で起きている問題について何かしたいんだけど、何をしたらいいのかわからない」って思っている僕みたいな人たちが、ただ情報を受け取る立場からなるべく早く情報を伝える立場に立つということを重視していたんです。

そのために難しい話は映像に語らせ、進め方についてもしっかりしたマニュアルを用意して、3日間のファシリテーター・トレーニングさえ受ければ誰でもファシリテーションできるように意図的に障壁を低くしていたわけです。

僕はコーチングの仕事をしていたときから「エンパワー」(※8)するということを大事にしてきたので、情報をインプットする人からアウトプットする人に移行するプロセスをサポートするというチェンドリのやり方も、一つの立派なエンパワーだなと感じたんです。

そして、フィンドホーンのようなエコビレッジをつくることはできないけれど、これなら自分にもできるかもしれないと思ったんです。

僕自身もピースボートに乗るまでは知らなかったことを、このチェンドリに参加すれば、たったの数時間で世界でいま何が起きているかを、それらがなぜ起きているかという根本的な原因も含めて知ることができます。

わざわざピースボートに乗って3ヶ月かけて世界一周しなくてもいいんです。

これは日本でも必要だし、いずれ帰国したらぜひやりたいと思いましたが、まだそのときはすぐに日本に帰る予定はなかったので、しばらく自分の中で温めることにしました。

※4 ワークショップ

講師から参加者へ一方向的に知識や技術を伝えるのではなく、参加者同士での対話や体験などを通じて学びあったり、成果を創り出したりする双方向的な講座。

※5 ファシリテーション

参加者による話し合いや協同的な作業、参加体験が円滑に進むように支援する関わり方

※6 フィードバック

講義やワークショップなどをより良くするために参加者から主催者や講師に伝えられる感想や評価、提案など

※7 ファシリテーター

ファシリテーションをする人

※8 エンパワー

関わる対象が持つ可能性が最大限に発揮されるようにサポートすること

3.「意識」と「しくみ」の両面から変化を促す

【聞き手】
すぐに日本に帰ってチェンドリを始めたわけではなく、しばらくその考えを温めていたんですね。それから何があったんですか?

【榎本英剛さん】

チェンドリに出会ったのとほぼ時を同じくして、トランジション・タウン(※9)にも出会いました。

僕は、世の中に大きな変化をもたらすためには「意識」と「しくみ」の両面における変化が必要だと思っています。

トランジション・タウンは、どちらかというとしくみの変化の方に焦点を当てていて、地域レベルで市民が食べ物やエネルギーなどのあり方を具体的にどう変えていくかという話なんです。

その中には「内なるトランジション」という考え方があって、意識の変化も重要だということは言われているんだけど、具体的にどう変わればいいのかについてはあまり明確に語られてはいないように思えました。

チェンドリで伝えている「すべてはバラバラである」という見方から「すべてはつながっている」という見方に変わるということが、内なるトランジションにおいて鍵を握っているんじゃないかと直感し、この二つを同時にやるべきだと思ったんです。

意識の変化を目的としたチェンドリ、しくみの変化を目的としたトランジション・タウン。

この二つはすごく親和性が高いし、これらに同時に取り組むことで意識としくみの両面から変化を促すべく、日本に帰ることにしました。2008年6月のことです。


※9 トランジション・タウン

石油を始めとした化石燃料に過度に依存した暮らしから、もともとその地域にある資源を活かした持続可能な暮らしへの移行を、市民が自発的に自らの創意工夫によって実現していくことを目指している市民活動

4.いろいろな人たちの協力により完成した日本語版チェンドリ


【聞き手】
日本に帰ってきてからは、どのようにチェンドリを紹介していったんですか?

【榎本英剛さん】

帰国後、トランジション・タウンに関してはすぐに動き出したんだけど、チェンドリについてはなかなか前に進まなかったんです。

なぜかというと、チェンドリを開催するにあたって必要となる映像もマニュアルも英語のままで日本語化されていなかったからでした。

CTIジャパン(※10)関係者で英語ができる人だけを集めて英語でやったりはしてみたんですが、日本人しかいないのに英語でやるのはやはり不自然というか。。。要するに、日本語化しない限りすごくやりにくいという足かせがあったんです。

そうは言っても、映像に日本語の字幕を付けるにはどうしたらいいのかわからないし、マニュアルなど訳さなくてはいけないものが膨大にあって、これは大変だなと思っていました。

そうこうしているうちに、その年の11月にカナダのモントリオールで開催された国際コーチ連盟の国際会議でチェンドリを提供する機会がありました。

僕はその国際会議の実行委員をしていた関係で、自分の希望をプログラムに反映することができたんです。

なぜコーチングの国際会議でチェンドリをやりたいと思ったかというと、かつての自分がそうであったように、コーチングをやっている人たちは得てして世界で何が起きているかに対する関心が薄いと感じていたからです。

アメリカからファシリテーターに来てもらい、200人くらいの人が参加してくれました。

そこに、日本人も何人か参加してくれていて、終わった直後に桑原幸子さん、菅野綾子さん、遠藤範子さん(故人)たちが僕のところに来て「これ、日本でもやらないんですか?」「私たちも手伝いますから、日本でもぜひやりましょう!」と言ってくれて、背中を押されたんです。

そこから、映像やマニュアルの翻訳作業にも本格的にとりかかりました。字幕付けに関しては、現在トランジションタウン小金井の代表をしている梶間陽一さんがボランティアで手伝ってくれることになりました。

彼の知り合いのスタジオが神奈川県の相模湖にあって、そこで毎日朝から晩まで二人でパソコンの画面とにらめっこしながら、10日間ほどかけてなんとか完成させました。

字幕付けって普通の翻訳と違って、結構難しいんです。映像上の音声が英語で流れているスピードに合わせて、なるべく簡潔な日本語訳を考えなくちゃいけないので、「このメッセージを何文字以内の日本語にしてくれ」みたいな話ばかりで、英語力よりも国語力が問われた記憶があります。

このように、背中を押してくれた人たち、翻訳を手伝ってくれた人たち、字幕化を手伝ってくれた人たちなど、いろいろな人たちの協力があってようやくチェンドリの日本語版が完成したんです。

実は前もって、2009年5月の終わりに山梨県の清里にあるキープ協会の施設で日本初のファシリテーター・トレーニングを行うことを決めていて、それに合わせてパチャママ・アライアンスのトレーナーであるトレーシー・アップルさんにも来日してもらうことになっていました。

そこが絶対的な期限になっていて、それまでに映像もマニュアルも日本語化しなければならなかったのがかなりのプレッシャーでしたね。結果的には何とかギリギリ間に合って、ファシリテーター・トレーニングで映像とマニュアルをみんなに渡すときには思わず感極まってしまいました。

いま思い返しても、あのプロセスは結構大変だったなという感覚が残っています。

このファシリテーター・トレーニングを経て、20人強の日本人ファシリテーターが誕生したことを受けて、今後力を合わせてチェンドリを日本に拡げていくための団体を立ち上げようという話になりました。それがセブン・ジェネレーションズです。

最初は任意団体として始まり、僕が代表を務め、桑原幸子さんが事務局を担ってくれることになりました。

※10 CTIジャパン

世界的なコーチ養成機関「CTI」が提供しているコーアクティブ・コーチング・プログラム、コーアクティブ・リーダーシップ・プログラムを日本で提供するために、榎本英剛さんが創設した団体。

5.人が変わっても受け継がれていく精神

【聞き手】
セブン・ジェネレーションズって名前にはどんな想いを込めたんですか?

【榎本英剛さん】

最初はチェンドリを提供したり、そのファシリテーターを養成したりすることから始めたので、パチャママ・ジャパンとか、チェンドリ・ジャパンといった名前でもよかったのかもしれないけど、あえてそうしなかった理由がありました。

セブン・ジェネレーションズには「7世代」という意味があり、7世代後の未来の世代にいまよりもいい状態で地球を受け渡していきたいという想いが込められています。

また、セブン・ジェネレーションズには「7つのものを生み出す」という意味もあるので、「気づき」「智恵」「つながり」「ビジョン」「行動」「勇気」「希望」の7つを生みだす活動をしていきたいという想いも表しています。

そして、そのためにできることはチェンドリに限らずやっていこうと思っていたことから、セブン・ジェネレーションズという名前にしたんです。

さらに、セブン・ジェネレーションだけでやっていくというよりは、トランジション・タウンなど持続可能な未来をつくることを目的とした他の活動とも連携しながらやっていきたいという想いもありました。

実際、その後トランジション・タウンを始めとする他の複数の活動との連携が実現し、最初の意図を見事に引き継いでくれているなと思っています。

加えて、「7世代」という名前にもあるように、新しい世代にバトンを受け渡していくということを体現すべく、ずっと自分が代表をやるっていうのではなく、次の世代の人たちにその運営を受け渡していきたいという想いがありました。

もともと僕は、CTIジャパンやトランジション・タウンのときもそうですが、立ち上げるのが自分の役割だと思っていますから。

実際、僕や桑原幸子さんが身を引いた後は塚田康盛さんや赤塚丈彦さんたちが中心となり、さらにその後を受けて今は宇佐見博志さんや桑原康平さんたちが中心になっていて、世代が着実に変わっています。

このこと自体がセブン・ジェネレーションズという名前にした精神を表していると思っています。

人が変わっていっても精神は受け継がれていくということが大事だと思っているんです。


【聞き手】
そのためにもこういうインタビューが必要なんだと思っています。

【榎本英剛さん】

僕も「ストーリー(物語)」って大事だなと思っています。それって「なぜ?」の部分ですよね。

その組織がどういう経緯で、どんな目的で立ち上げられたのかということは、その組織のアイデンティティ(※11)の重要な一部であり、それは語り継がれていく必要があることだと僕も思います。

※11 アイデンティティ

特定の人や組織を表すもの。他と見分けることができるようにするもの。

6.あなたはすでにチェンジ・エージェントである

【聞き手】
最後にもう一つ、チェンドリを受ける人たち、新しくファシリテーターになる人たち、既にファシリテーターになっている人たち、それからセブン・ジェネレーションズの会員たちに対してメッセージをいただけますか?

【榎本英剛さん】

まずお伝えしたいのは、チェンドリに参加しようと思った時点、ファシリテーター・トレーニングを受けようと決断した時点、セブン・ジェネレーションズの会員になろうとした時点で、みなさんはすでにチェンジ・エージェント(※12)なんだということです。

それは、世界で起きていることをただ傍観するのではなく、それがより良い状態になるよう、その変化に自分も関わろうという意思表示でもあるので、その時点でチェンジ・エージェントになることを選んだということなんです。

世の中の多くの人たちは、いま世界が大変なことになっていることは感じていても、それに対して自分にできることは何もないという無力感をどこかで感じています。その無力感を乗り越えるというか、払拭するのがチェンドリの目的の一つです。

そのための鍵は、世界で起きているあらゆる問題の根っこにあるものは何かに気づくことです。それは、世の中の多くの人たちが持っている「すべてはバラバラである」という世界観だとチェンドリでは伝えています。

したがって、世界で起きている問題を解決するためには、「すべてはつながっている」という世界観に転換していく必要があるわけです。

ところが、すべてはつながっているということを理解したとき、そこにはある種の痛みを伴います。

なぜなら、これまでは「私は関係ない。誰か悪い人たちが勝手に世界を傷つけているんだ」と思っていたけど、実は自分がどういう世界観を持って生きているかが、いま世界で起きていることと深く関係していると気づくからです。

でも、この痛みは必要な痛みなんです。

この痛みがあるからこそ自分が世界とつながっていると感じることができるわけで、自分が世界とつながっていると感じるからこそ自分が変わることで世界が変わるっていうことが実感できるわけですから。

僕はこれこそが究極のエンパワーであり、チェンドリが伝えているメッセージの一番重要な部分だと思っています。

ぜひチェンドリやセブン・ジェネレーションズに関わろうと思ったご自身の想いを信じ、チェンジ・エージェントとしてこのメッセージを一人でも多くの人たちに伝えていっていただければと思います。

【聞き手】
大切なお話をありがとうございました。

(インタビュー日:2017年5月17日)

※12 チェンジ・エージェント

組織や社会の変革を起こしたり、促進したりする役割を持った人

話し手プロフィール

榎本 英剛

よく生きる研究所 代表。

人の可能性を引き出すコミュニケーションとして知られるコーチングを日本に紹介、今や日本有数のコーチ養成機関となったCTIジャパン(現・ウエイクアップ)の創立者。

また、持続可能な未来を市民の手で創るための世界的な活動であるトランジション・タウンおよびチェンジ・ザ・ドリームを日本に紹介。それぞれトランジション・ジャパンおよびセブン・ジェネレーションズを設立(現在はともにNPO法人)。

著書に『本当の自分を生きる』(2017年、春秋社)、『本当の仕事』(2014年、日本能率協会マネジメントセンター)、『部下を伸ばすコーチング』(1999 年、PHP研究所)、その他翻訳に携わった書籍に『アクティブ・ホープ』(2015年、春秋社)、『トランジション・ハンドブック』(2013年、第三書館)、『コーチング・バイブル』(2002年、東洋経済新報社)、『バーチャル・チーム』(1998年、ダイヤモンド社)がある。